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母の決断


さて、高知県で生まれた母が、なぜ京都に住むことになったのか、に触れてみよう

と思う。それには、父についても触れなくてはならない。

 高知県と京都という、当時としてはあまりにも遠く離れた地で生きてきた二人に、
どのような出会いがあったのか。それは、京都で成長した父が養蚕教師の資格を
 得て、グンゼ株式会社の高知工場に派遣され、蚕の飼い方講習で高知県内を回って
 いた事による。ちょうど母の生家でも蚕の季節だけは養蚕をおこなっていたので、
  父が講師の講習会に母が参加したことで、二人は顔を合わせることになったらしい。
 その後、二人がどのような付き合い方をしていたのか、本人の口から聞いたことが
 ないので知るよしもないが、蚕の季節に父が高知県に出向いていたのは3年間だっ
 たという話を耳にしたことがあるので、それが付き合いの期間ではないかと思う。

 ところが、二人の交際を知ってか知らずか、父親(私の祖父)が母の結婚話を進め
 はじめたらしい。母は、父親が勧めるその相手が厭でたまらなかったと、年老いて
 から私に漏らしたことがあるが、きっと意中の人がいる状態では、その相手を受け
 入れことができなかったのだろう。母は父親に、「せめて自分の好きな人と一緒に
 させてほしい」と哀願したようだが、「どこの馬の骨とも分からん者に、わしの娘
 をやることはできん」と一喝されたという。間もなく母は、小さなトランクに当座
 の着物をしのばせて、人知れず父の待つ京都に旅立った。時あたかも軍靴の音高な
る昭和15年の春のことだったという。

 その後、母は過酷な人生を歩むことになったが、いわゆる家出をしてきた身である
 ゆえ、実家に帰ることもできず、我慢に我慢の日々を重ねた。それを私は自分の目
で見てきたので、またいつか触れたいと思う。

<今日の画像アップは、秋に咲いた花々>
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# by yamamo73 | 2020-12-01 23:24 | 歴史

母の生い立ち

先に母の思い出を書いたので、さらに母を思い出してみようと思う。

母の生家は、高知県の四万十川の最上流にあって、ひと山手放せば、県の年間長者
番付
上位に入るほどの山林地主だった。それも、戦後10年余り後に、その家の主
であった母の父親(私の祖父)が他界したとき、10人きょうだい(男4人女6人)で
あるにもかかわらず、新民法の適用などもろともせずに、親の財産を4人の男兄弟だ
けで分けてしまったという。しかし、それも時の流れの中で散逸し、今は私の従兄妹
たちの代になり、京都からたま~に訪れると、母の生家は遠い昔の栄華の面影を、僅
にしのばせているにすぎない。

そういう家に生まれた母は、10人きょうだいの9人目(5女)として、なに不自
く育った。幼いときは遊び場を村の小学校に求め、窓の外から教室をいて書き
覚えて、他の同じ年の子どもより一年早く小学校に上がったという逸話がぐら
利発だったという。それだけに、成長するにしたがって、絶対的父権を振りかざ
父親に対しては他の姉妹のように従順ではなく、強い疑問と反抗心をつのらせていっ
た。特に父親の決めた結婚相手に、有無をいわせないやり方に憤慨していたらしく、
姉たちが厭々嫁いでいく姿を見ながら、「私は、ああなりたくはない」と思いつつ、
娘への階段を上っていったという(以上の大部分は叔母から聞いた話)。<続く>

貼付写真は、終盤の紅葉
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# by yamamo73 | 2020-11-26 20:17 | 歴史


私は今、母が生きた歳を超えて生きている。もっとも母は、人生の終盤を透析患者として過ごしたので、
思いのほか短かった。最近、その母のことをしきりに思い出すようになった。私が幼いころ、友達にいじ
められて泣きながら帰ってきたら、「お前にも悪いところがあったのとちがう?」と言われ、当時いじめ
たと思われる子供の家に怒鳴り込んでいく親がいた中で、母は絶対それをしなかった。その時私は、母は
私がかわいくないのだろうかと疑ったものだ。でも、母に厳しく叱られた思い出はない。

また、きちんと思い出すことができるのは、母の私への躾だ。たとえば、遊びから帰ってきて靴を脱いで
揃えないで上に上がると、「もう一回、靴を脱いで上がってごらん」と、私が靴を揃えるまで、何回もや
り直しをさせられた。掃除も同じくで、掃除機などなかった当時は座敷箒での掃除だったが、部屋の隅に
置いてある座布団などを除けずに掃いていると、「掃き掃除というのは、動かせる物は全部除けてやるも
の」と指摘された。邪魔くさかったけれど、叱られたわけでもなく、納得できる指摘だったので、素直に
聞いた覚えがある。さらに忘れられないのは、寝坊をした私を起こすとき母に「早く起きなさい!」と言
われたことがない。いつも「いま起きたら○○○(鳥の名前)の鳴き声が聞けるよ」などと声をかけてく
れた。ということで、なにしろ叱られた覚えがないのだ。

特に寝る前に、そんな母のことを思い出すと眠れなくなってしまうほどの昨今。場合によって、「そろそ
ろこっちにおいで」と呼ばれているのかしらん…思うことも。でも、今のところ私は元気だ。


「貼付写真は、真如堂の紅葉」

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# by yamamo73 | 2020-11-20 10:51 | 歴史